Facebookに林芙美子邸を見学したことを載せたのに、
三浦昌人さんからコメントが下記のようにあった。
「白井先生でなく山口先生に頼んだのが、謎ですね、エントランスにモダニズムを感じ取り、好きな変容期の住宅です。」
それに対する私の推測の返信が下記です。
パリでの白井と林の話は聞きますが、1932年の出会いと別れとあり、林の家の建設はその後で1941年にできています。
白井がこの年代に設計した1938年の歓帰荘から1941年の嶋中邸のデザインはドイツの田舎民家風のデザインです。
白井のこの時期の思考やデザインは林の数寄屋好みとは違います。
白井は戦後の稲住温泉の初期もドイツの田舎民家風です。
その後にモダンになっていきます。
秋ノ宮役場の後の、稲住温泉の離れの浮雲や呉羽の舎は和風ですが、
重厚な厚い大壁(付柱)に開口部がくり抜かれた白井独自の和建築です。
日本では中世から江戸初期の地侍・郷士の軸組より壁の民家でしょうか。
林芙美子邸