1945年9月に米軍が撮影した能代の「東雲飛行場」の写真。
10日に秋田放送で
「終戦から80年となる今年、日本テレビ系列各局では、
「いまを、戦前にさせない」をテーマに、様々な企画をお伝えします。
10日は、かつて能代市にあった“ある飛行場”についてです。
』
を知ったのは放映後のネットのニュースだった。
能代の飛行場とは市民は東雲飛行場という。
軍の(秘密な?)施設で市民は実情をほとんど知らない。
言い伝えでは、飛行機は木造の赤とんぼで、
特攻隊の訓練飛行場と聞いていた。
規模は小さいと思っていた。
小規模ではない。
当時最新の双発の「キ102乙」が並んでいる。
それが近年公開されたアメリカの資料ではちゃんとした飛行機であった、
「終戦直後の1945年・昭和20年の9月にアメリカ軍が撮影したフィルム映像には、留め置かれた様々な機体の様子がおさめられています。
独特のフォルムが特徴の「東海」。
潜水艦の行動を探る哨戒機で、洋上で広い視界を得るため、ほかの飛行機に比べて、操縦席の窓ガラスが大きく設計されていました。
ずらりと並んでいるのは、旧日本軍が終戦間際に開発した攻撃機です。
本土決戦に備えて、実戦配備されたと言われています。
アメリカの国立公文書館から入手した、太平洋戦争に関するフィルムを10年以上にわたって解析・研究している、織田祐輔さんです。」
「記者、これが終戦後に撮られた意図・目的は?」
織田さん
「日本軍の武装解除ですね。日本軍が本当に武装解除しているかの確認の第一陣で来ている感じ。(機体から)プロペラが外されているんですよね。飛べないように。
「終戦直前になって、アメリカ軍の潜水艦が何隻か日本海に入ってきて、暴れまくったので、それを発見して攻撃するために、本来なら太平洋側の基地にいた第903海軍航空隊の部隊の一部が、能代派遣隊を作って、日本海側の能代飛行場を拠点に、日本海での対潜哨戒を行っていた。」
「日本海の制海権すらほぼ失いつつあったという感じですね
」
資料:豊の国宇佐市塾 ABS秋田放送から転載