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古代DNA 日本人がきた道 2

研修・鑑賞・スタディ

2025.04.07

4日に国立科学博物館の「古代DNA 日本人がきた道」を見た。

HPから
古代DNA研究とは?
1980年代に古人骨にもごく僅かですがDNAが残っていることが明らかになり、その分析が始まりました。
その後の約20年間は技術的な制約で、母親から受け継がれるミトコンドリアのDNA分析を対象としていましたが、
2006年に「次世代シークエンサ」と呼ばれる画期的なDNAシークエンサが実用化され、
古人骨の核DNAの分析も可能になりました。
核DNAは人体の設計図とも言われ、両親から受け継ぎます。
そのため母系に遺伝するミトコンドリアDNAと比べてはるかに多くの情報を得ることが可能です。
古代人の髪や目、肌の色のほか、どんな病気にかかりやすかったかまでも明らかにすることができるようになったのです。
また、詳細な遺伝情報を得ることができるようになったことで、
これまでの化石の形態研究では分からなかった、
我々ホモ・サピエンスの起源や世界への広がりの道筋、
人類集団の形成過程の研究なども進んでいます。

第1章 最初の日本人
 ゲノムから見た旧石器座大の人々
第2章 日本の基層集団
 縄文時代の人と社会
第3章 日本人の源流
 さまざま弥生人とその社会
第4章 国家形成期の日本
 古墳時代を生きた人々
第5章 南の島の人々
 琉球列島集団の形成史
第6章 北の大地の人々
 縄文人がアイヌになるまで

とても興味があるのは
第6章 北の大地の人々 縄文人がアイヌになるまで
である。
「北海道の縄文人をベースとしながら、
その後の歴史の中で、
本土日本や沿海州の集団からの影響も受けつつ誕生した。
アイヌ集団には本土日本人に10〜20%しかない縄文人の遺伝子が、
70%近く伝わっており、最も縄文人に近い集団である。

言葉を選んでいる。
「アイヌ人」ではなく「アイヌ集団」、「オホーツク文化人」「本土日本」である。

アイヌの人骨などは有珠モシリ遺跡(伊達市)の出土である。
有珠以南の道南は「本土日本」の影響が強いし、
以北は「オホーツク文化人」の影響が強いだろうから、
北海道の縄文人の純粋度合い高いのは中間の有珠になる。
飛鳥時代の阿倍比羅夫は、
船軍180隻を率いて蝦夷を討ち、飽田渟代二郡の蝦夷を降伏させ、
更に
粛慎(あしはせ=オホーツク文化人か)を撃つのに奥尻まで北上している。
その後の中世には道南の渡党(わたりとう)などが跋扈した。


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