明治13年の二ツ井の徯后坂(きみまち坂)は岩肌が大きく見えていた。
1960年前後まではこんな状態だった記憶がある。
現在は樹々が成長し、岩肌はほとんど見えない。
米代川対岸の七座山は留山だったので樹々が深々だったろう。
能代の歴史で知れるのは、山々が禿山になっていたのは平安時代から少なくても4度ほどある。
1.平安時代末から鎌倉時代初期。
2.江戸時代前期。
3.大正時代初期。
4.戦中から戦後期。
である。
帆船が屯している所が現在の「道の駅二ツ井」の場所で、盛土をしている。
現在の徯后坂(きみまち坂)の岩肌は樹木に覆われている。
対岸の留山だった七座山。