10月上旬の大人旅。
春と秋に、新旧の建築や歴史、お酒と食事と温泉を楽しむ大人三人旅。
秋田県で17世紀まで溯る最も古い(江戸初期)農家の遺構として重要文化財。
由利本荘市矢島町にある。
日本海沿岸の豪雪地域に多く見られる中門造。
以下は 由利本荘市のHPから転載。
土田家の祖は木曽義仲の四天王の一人、根井小弥太行親の末えいと伝えられ、豊臣秀吉から朱印状が与えられ、この地域の独立した小領主として処遇されていました。現在の相庭舘集落に居住したのは江戸時代の初頭の頃と考えられます。
建築年代は明らかではないが、家伝によると延宝6年(1678)没の初代清左エ門が建てたものといわれており、構造や工法からみても17世紀の建築であることが明らかであります。
この住宅は「中門造り」の系統のもので、後世の完成された中門造りとは異なり、建築年代の古さと、中世以来の武士住宅の系譜を引く「主殿造り」の要素をもちあわせた学術上貴重な住宅建築であります。
構成部材は太くない。太い部材の農家は後世の家屋である。
以下は 由利本荘市のHPから転載。
柱は部屋の境界においても1間ごとに建ち、その数は多く、このため後世の住宅のような太い差物類はなく、柱数の多さをもって屋根を支えるという構造となり、住宅建築の発展過程の途中の年代であることを表しています。使用材は柱がクリ、横材がブナ、板壁、天井等の雑作材がカツラ、ホウで占められ、杉などの針葉樹材は一本もなく、すべて雑木が使われています。
「中門造り」には「片中門」と「両中門」とがあり、一般には馬屋中門のみのものが多く、「座敷中門」も付く「両中門造り」は18世紀後半以降の中門造りの完成期のもので、由利郡や秋田市周辺に多く見られます。土田家住宅の中門は上中門と呼ばれる座敷側のみの中門でこの形式は極めて少なく、現在まで の学説では馬屋中門の発生が古く、座敷中門は18世紀以降の出現と考えられてきました。土田家住宅の痕跡資料に基づく復原によって、座敷中門のみの形式が先行していたことが明らかとなります。このような形式の住宅は中世の武士住宅を描いた絵巻物などに見られ、これを「主殿造り」と呼んでいます。
土田家住宅は先祖の出自から考えて中世以来の「主殿造り」の系統を引いて いるものと考えられ、近世初頭の上層農家の形態を知るうえで極めて重要な建物であります。
杉材は商材で、産地は秋田県北の米代川流域になるのだろう。
中世から米代川・日本海の海運を使った畿内との交易があった。
豪雪地帯で合理的なこの軽い構造である。