2月26日の私のblogとFacebookにイメージ・フォーラムの映画「ペーパーシティ 東京大空襲の記憶」を紹介した。
その時に空襲の効果的方法をA・レーモンドが協力したことを述べた。
もう一つA・レーモンドには猜疑心を持っている。
秋尾沙戸子『ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後』に、
A・レーモンドについて「第二章 ある建築家の功罪と苦悩」が20ページにわたり書かれている。
スイスではミリタリー・アタッシュ(大使館付諜報武官)
1919年:ワイントンDCのミリタリー・インテリジェンス(軍諜報機関)
1921年:日本、ライトの弟子の時 ミリタリー・インテリジェンス・リザーブ(軍諜報期間予備役)
1920年:日本ではアメリカ大使館ミリタリー・アタッシュ(大使館付諜報武官)
1924年:ワイントンでミリタリー・インテリジェンス(軍諜報機関)
に属していた。
日本でのアメリカ大使館ミリタリー・アタッシュの役目も記録されている。
その後に明るくなったのは、
吉村順三や増沢洵などの優れた弟子たちがレーモンドの空間にあかり障子を持ち込んだからなのだろうか。
それでもやはり暗い。
トラウマになっているのか、私の空間にはあかり障子は少ない。