11月22日に「大阪くらしの今昔館」を見学した。
江戸時代を見終わり、近代大阪(明治・大正・昭和)のまちと住まいを見た。
城北バス住宅 昭和23年(1948)
HPから
第二次世界大戦の空襲で焼け出された人々の救済のために建設された仮設住宅のひとつに、廃車になった木炭バスを利用したバス住宅があります。旭区豊里町には、バスをメガネ形に配したバス住宅がつくられました。家賃が安く、隣近所のつながりも深かったことから住み続ける人も多く、城北バス住宅は昭和26年(1951)まで存続しました。
当方で21戸のコンテナホテルを設計しているが、
配置が円形の城北バス住宅は面白い。
14戸から15戸が広場や共同施設を中心に円形に集まる。
15戸×4人/戸=90人→×5ブロック=75戸=300人=1集落
これが縄文から現代までの人々の集落の形態ではなかろうか。
能代に縄文時代の大型住居の杉沢台遺跡がある。
青森の三内丸山遺跡の大型住居と同じ大きさである。