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アトリエの近くに900年代前期土塁遺構?

見学建築・歴史・他

2024.06.14

900年代前期も土塁遺構?
友人のKさんが掘っている古代遺跡。
北に米代川がある舌状台地の北端。
数年前に樹木が伐採され、遺跡の調査でもあるのかと思っていた。
この付近は旧石器、縄文の遺跡地帯である。
柏子所の遺跡もそうだ。
縄文人の全体人骨も日本で初めて発掘された。

古代は蝦夷と大和の勢力争いの境界領域であり、
米代川北岸の蝦夷に攻め込まれないための大和側の防護柵か?

蝦夷の世界は大和朝廷でないが、
やはり大和の源頼朝の鎌倉幕府中央集権に征服された。


防護柵の遺跡か?
U字型の空堀と掘った土を右側に盛土した土塁。
土塁と空堀の高低差は4mほどか。
南側に物見台や駐屯の建物があったのではなかろうか。
それとも、土塁と空堀と柵の位置からして逆なのだろうか。
柵の縄張りを知りたい。

下から1/4に位置する黒っぽく薄い層が当時の表土。

左側の連続した溝は木の縦柱の連続した柵の根堀か?

発掘された土師器。

風車の手前は砂防林、
風車は砂防林の海側の沿岸淵に連立している。
この発掘調査している場所も風車がたつ計画である。

蝦夷の血が残っているのか、
キレイな大和文化には違和感がある。
ものつくりの原点になっている。
小学生の頃、我が土地が大和色付けされていない歴史地図を見て、
ショックを受けた。

879年(元慶3年):元慶の乱 
915年:
北東北に2000年来最大の自然災害である十和田火山の大噴火



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