明治40年秋木バイオマス100Kwの発電所 当社の原点は明治40年、井坂直幹翁設立による秋田木材株式会社であります。 秋田杉の需要増に対応すべく機械製材による効率的な供給を目指して製材機械工場を設立し、 オリジナルの各種製材機械を開発・運用し、加工木材の全国販売を展開しました。 明治41年には製材機械の電動化に向けて現...
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明治40年秋木バイオマス100Kwの発電所 当社の原点は明治40年、井坂直幹翁設立による秋田木材株式会社であります。 秋田杉の需要増に対応すべく機械製材による効率的な供給を目指して製材機械工場を設立し、 オリジナルの各種製材機械を開発・運用し、加工木材の全国販売を展開しました。 明治41年には製材機械の電動化に向けて現...
前回は戦後の昭和30年でしたが、 今回は昭和18年?の能代港町の木材会社をプロットした地図である。 赤印は製材工場。 青印は樽丸工場。 現在はどうなのでしょうか。
昭和30年の能代市の木材会社をピックアップした。 緑色は記憶を元に私の判断で書き込んだ。 工場は米代川の南岸、街の北端に集中してあった。 旧材木町である。 能代は「木の都」と言われるが、 それは50年前の昔のことであろう。 下の木材会社を書き込んだ地図を見れば知れる。 昭和30年は私が四歳の時期である。 右上の青印が住...
能代の木材史は薩摩鉄司さんが博学である。 連載を期待する。
中村琢巳(東北工業大学)准教授が集めた資料。 どでかい天杉、 仁鮒小学校の木材はこのような丸太から製材されたのか。 旧料亭金勇の木材も仁鮒金山の産出でトロッコで天神貯木場まで運ばれ、 筏に組まれ米代川を下り、能代で陸揚げされ製材された。 トロッコの森林軌道。 山間部から天神貯木場まで仁鮒小学校の周辺を走っていた。 中村...
北羽新報記事 安藤邦廣先生(左) 中村琢巳先生(左) 腰原幹雄先生 ボケ写真で申し訳ありません。 ですが、存在感は滲み出ています。 大橋好光先生 中村琢巳先生 貴重な資料を掘り起こしている。 採集が必要に思われる。 資料館ができそう。
中国木材能代工場はどでかい。 今回は能代工場だけでなく、 中国木材の全体の木製品供給量を見る。 木造住宅の着工数の木材使用量の1/4を生産している。 2021年の資料なので能代工場は入っていない。 どでかい。 私のblog・Facebookの「中国木材能代工場どでかい 1」に紹介した、 北羽新報の「関連産業活性化に期待...
中国木材能代工場はどでかい。 これで能代工業団地は満杯になったが、 足りなく、周辺に拡張している。 利点は、 港に近い、 水量が豊富な大きな米代川に隣接し、バイオマス発電に必要な多量な水の確保。 米代川流域、秋田県南を含めた北東北3県の豊富な木材供給量。
中国木材能代工場はどでかい。 生産量が40万m3から60万m3と聞いている。 どでかい。 全国に木材加工工場は五ヶ所前後ある。 35年ほど前から北米や北欧・中欧の40万m3から60万m3の巨大な製材工場や中製材工場を見てきたから、 どでかさが分かる。 下記の新聞の写真は製材工場の内部写真である。 どでかい。 他に集成材...
10日金勇で「金勇で木都能代を考える会」があり聞いた。 講師は井坂記念館の佐藤忠良氏と元秋田木材通信社・木高研推進機構スタッフの薩摩鉄司さん。 時間が圧倒的に足りなかった。 続き物になって欲しい。 会場からは現在の有様は木都と語れないとあったが、 その幻影に浸ってみたい。
「建築士」12号の「この人に聞く 168回」に、 「地域の建築は社会資本」の課題で4頁掲載される。 文章は北尾靖雅先生。 先月の11月号には「八郎潟・米代川流域の文化的景観」の特集の中で、 「郷土史の視点から秋田スギの歴史と木材産業による景観」の課題で4頁担当掲載された。