特集 日本建築文化論 八郎潟・米代川流域の文化的景観(秋田) 今年の全国大会は秋田県であったせいか 上記の特集が組まれた。 その中の4ページ 木 郷土史の視点から 秋田杉の歴史と木材産業による景観 を担当した。 4、500字だったが9、500字になってしまい、 削減するのが大変だった。 「建築士会」は多くの皆様の手...
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特集 日本建築文化論 八郎潟・米代川流域の文化的景観(秋田) 今年の全国大会は秋田県であったせいか 上記の特集が組まれた。 その中の4ページ 木 郷土史の視点から 秋田杉の歴史と木材産業による景観 を担当した。 4、500字だったが9、500字になってしまい、 削減するのが大変だった。 「建築士会」は多くの皆様の手...
能代で写真の大きな樽を見た。 直径6尺高さ6尺以上はあるだろうか。 他所では現役などの大きな樽を見るが、 能代では初めて見た。 能代の数社の桶樽製造所が頑張っているが、これほどの大きな桶の製造現場を見たことはない。
原木価格が下落中である。 最高の時はウッドショック前の2倍ほど高くなり、現在は1.5倍まで下がってきている。 能代の地域新聞「北羽新報新報」10月20日より転載。
秋田県立大学付属木材高度加工研究所推進機構の35周年記念会の基調共演が元所長の林教授だった。 その内容の一つが下記である。 秋田県の令和2年の用途別素材生産量(左上の円グラフ 秋田県資料)をみると合板用の割合が40%と多い。 製材用の43%とほぼ同じ量になっている。 この数量の大さは床や屋根などの剛性確保に欠かせないネ...
明治13年の二ツ井の徯后坂(きみまち坂)は岩肌が大きく見えていた。 1960年前後まではこんな状態だった記憶がある。 現在は樹々が成長し、岩肌はほとんど見えない。 米代川対岸の七座山は留山だったので樹々が深々だったろう。 能代の歴史で知れるのは、山々が禿山になっていたのは平安時代から少なくても4度ほどある。 1.平安時...
2005年10月14日のブログから 能代市の檜山の町おこしの景観づくりのアイディアの応募があり、2点選択の内の1点に入った。その時のほんの一部である。 ・中世と近世が混在したまちなみ・景観(全国的に希少) 檜山城入口付近から檜山橋付近までの通りを縦軸とした近世のまちなみ・景観に、旧小学校跡地を横軸とした中世のまちなみ...
建築士会雑誌11月号の原稿「郷土史の視点から秋田杉の歴史と木材産業による景観」を書いた。 4,500字の原稿だが9,500字になってしまった。 大幅に削除した。 勿体無いので漏れた資料を記録保存する。 明治初期の能代の能代の羽立町の挽木屋の久次商会。 この頃はまだ機械製材がなかった時代である。 絵は「秋田県能代港市街明...
建築士会雑誌11月号の原稿「郷土史の視点から秋田杉の歴史と木材産業による景観」を書いた。 4,500字の原稿だが9,500字になってしまった。 大幅に削除した。 漏れた資料を記録する。 能代の旧金勇は木材加工関連の迎賓館だった。 登録文化財である。 能代市により保存、利活用されている。 この天神荘は二ツ井の天杉の営林署...
建築士会雑誌11月号の原稿「郷土史の視点から秋田杉の歴史と木材産業による景観」を書いた。 4,500字の原稿だが9,500字になってしまった。 大幅に削除した。 漏れた資料を記録保存する。 明治初期の能代の万町の挽木屋の宮越三右衛門。 この頃はまだ機械製材がなかった時代である。 江戸時代の木材の移出は大型弁才船で行われ...
中世、江戸、明治、大正時代に木材運搬の運河があった記録がある。 米代川の橋中から悪土川、長崎沼、赤沼、浅内沼、八郎潟、日本海、土崎港の水路だった。 忘れ去られているが私なりに位置を描いてみた。 能代には現在使われていないが、昭和29年に能代市が6年がかりで計画、施工した桧山川運河がある。その目的は米代川流域.で生産する...
再現された函館奉行所。